スペシャルオリンピックスとは

スペシャルオリンピックス(SO)の使命

スペシャルオリンピックス(SO)の使命は、年間を通じたさまざまなオリンピック形式のスポーツのトレーニングと競技会を、知的障がいのある人たちに提供するものです。スペシャルオリンピックスは体力の向上にはもちろんのこと、勇気を表現することや、楽しみを経験するためにも、継続的な機会を提供します。アスリートはプログラムに参加することで、技術や友情を、家族、地域の人々や他のアスリートといっしょに分かち合うことが出来るのです。

 

◇スペシャルオリンピックスが目指すものトレーニング・フォー・ライフ

スペシャルオリンピックスでは、スポーツをすること自体がアスリートたちの最終目標であるとは考えていません。スポーツは、彼らの可能性を伸ばすために適した最良の方法の一つだと考えています。スペシャルオリンピックスの最大の目標は、アスリートたちのさまざまな能力を高めること、彼らに自信と勇気を持ってもらうこと、そして彼らの心と体を成長させることにあります。トレーニングや競技の現場で身につけたことが、アスリートの人生において彼ら個人の向上や自立、社会参加につながることを目指し、そのための機会を途切れることなく提供していきたいと考えています。彼らがあらゆる意味で成長し、責任を持って仕事をこなし、リーダーになれることを示したいと願っています。

 

◇スペシャルオリンピックスの始まり

1962年に故ケネディ大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバー夫人が、自宅の庭を開放して開いたデイ・キャンプがスペシャルオリンピックスの始まりです。知的障害があるために、まだ一度もプールで泳いだり、トラックを走ったり、バスケットボールをしたことがない人たちにスポーツを提供する、それが彼女の願いでした。実は彼女の姉ローズマリーには、知的障害がありました。

1968年にジョセフ・P・ケネディJr.財団の支援により組織化され、「スペシャルオリンピックス」となり、全米から世界へと拡がっています。また1988年に、国際オリンピック委員会(IOC)と「オリンピック」の名称使用や相互の活動を認め合う議定書を交わしています。本部はアメリカ、ワシントンD.C.にあり、170ヵ国以上で、約420万人のアスリートと100万人以上のボランティアが活動に参加しています。現在、SO国際本部(SOI)の会長は、創設者ユニスの子息であるティモシー・シュライバーが務めています。

 

◇スペシャルオリンピックス日本の歴史

日本では1980 年に「日本スペシャルオリンピック委員会(JSOC)」が設立され活動を行っていましたが、1992 年に解散しました。そうした中、1991 年夏の世界大会に熊本から参加した10 才のアスリートと彼女を育てたボランティアコーチが、体操競技で銀メダルを獲得しました。ダウン症と難聴のあるアスリートの快挙は多くの人々の感動を呼び、熊本の地でボランティアの輪が広がり、1993 年3 月「スペシャルオリンピックス熊本」が発足、翌1994年11月に国内の本部組織である「スペシャルオリンピックス日本(SON)」が設立されました。そして、2012年3月13日に内閣府より公益財団法人の認定を受け、2012年4月より正式に「公益財団法人スペシャルオリンピックス日本」としての活動を開始しました。現在活動は47都道府県全てに広がり、全国で7,400人を超えるアスリートと、約13,700人のボランティアが参加しています。

 

◇スペシャルオリンピックス日本・山形の歴史

2006 年7月7日、スペシャルオリンピックス日本・山形は、日本で第31番目の地区組織としてスタートしました。SON・山形設立の機運は、2004年6月山形県勤労者福祉センターにSON・山形設立準備委員会準備室を開設、翌年の冬季世界大会成功に向け県内5カ所(米沢、山形、新庄、酒田、遊佐)での「500万人トーチラン山形」の開催で、一気に盛り上がりました。同年12月24日第1回発起人会を開催し本格的に始動。翌05年4月から山形で水泳とボウリングのプログラムを相次いでスタートさせ、続いて鶴岡でもフロアホッケーを皮切りに4種目が始まり複数地区での活動条件をクリアしました。2007年に山形市木の実町の大手門パルズに事務局を移し、2008年3月山形市において「第4回SON冬季NG・山形」を開催、全国よりアスリート850名、関係者3,000名が集い、山形からは87名の選手団が参加しました。同年12月に「特定非営利活動法人」を取得、米沢・置賜地域、酒田地域へも活動を広げ、2016年末現在、山形、鶴岡、米沢・置賜、酒田、新庄・最上の各地域で、延べ300名のアスリートが活動しています。